事例事件について

無罪事例報告(覚せい剤自己使用事件)

平成29年10月31日、東京地裁立川支部で、覚せい剤取締法違反(自己使用)事件について無罪判決を獲得しました。
今回は、この事例について報告します。

 

1 事案の概要

 

本件は、平成27年8月上旬ころから同月22日までの間に、東京都内又はその周辺において、覚せい剤若干量を自己の身体に摂取し使用した、とされた事案です。
依頼者が別件事件で逮捕された日に、任意採尿手続が実施され、その際に提出した液体を鑑定した結果、覚せい剤成分が検出されました。その旨の鑑定書が作成されています。依頼者は、自己使用の事実について否認していました。

 

2 審理の流れ

 

(1)弁護側の主張

弁護側は、依頼者が提出した液体と鑑定資料とされた液体は同一ではなく、別人の尿とすり替えられた、あるいは取り違えられた可能性があるなどと主張し、尿の鑑定書は自己使用の証拠とはならないとして争いました。

 

(2)分量の差の争点化

上記の主張を裏付ける事実として、任意採尿手続時の液体の量と、鑑定資料とされた液体の量に、分量の差がある、ということを最終弁論で主張しました。
任意採尿手続では、被疑者に紙コップに尿をさせて、それを採尿容器に移し替えます。その採尿容器を科捜研に持ち込んで鑑定するのですが、任意採尿手続時の採尿容器の写真が証拠として提出されており、その写真を見ると、容器の10mlを示す線のすぐ下まで液体が入っている様子が映っていました。
一方で、鑑定書には、鑑定資料は「約5ml」の液体であると記載されていました。
つまり、任意採尿手続から鑑定が実施されるまでの間に、容器内の液体が半分近くまで減ったことになります。弁護側は、分量の差がすり替え等の可能性を端的に示す証拠であると主張しました。
そうしたところ、検察官から、分量の差について補充捜査の必要があると申し出があり、さらに審理が継続することとなりました。

 

3 分量の差についての攻防

 

(1)検察官の主張

検察官は、分量の差の説明として、「本件尿は、鑑定を開始した際、本件採尿容器から一部漏れ出て本件採尿容器を入れていたチャック付ビニール袋内にこぼれていた」と主張しました。もっとも、当時使用されていた採尿容器は、いわゆるねじ蓋式のもの(ペットボトルの蓋のような構造です)で、きちんと締めていればおよそ漏れることは考えにくいものです。しかも、覚せい剤使用を立証するための大事な証拠である尿が、鑑定するまでの間にこぼれ出てしまう、という事態はにわかに信じがたいと思いました。

 

(2)鑑定メモ

検察官は、こぼれていたことを立証する証拠として、鑑定メモを請求しました。そこには、確かに「こぼれている」と記載がありました。
鑑定メモは、リングノートを横線で区切った手製のもので、左ページに鑑定実施日、被疑者名、色、量、pH、鑑定結果などが記載され、右ページにその他の情報が記載され、「こぼれている」は右ページに記載されていました。
鑑定メモの原本を確認すると、鉛筆で書かれており、右ページには消して書き直した跡がありました。「こぼれている」は後から書き加えたのでは、との疑念を持ちました。

 

(3)電話聴取書

検察官からは、鑑定人とのやりとりを記載した電話聴取書も開示されました。そこには、「この尿量は約5mlだと記載がありますが、嘱託の受理時の量がもっと多いことはなかったかと尋ねられました。この当時の採尿容器を使用していたときには、たまに容器から尿が漏れ、容器を入れているチャック付ビニール袋まで漏れ出すこともあったので、もしかしたら、●●(依頼者名)の尿についても漏れがあったのかもしれません」と記載がありました。
しかし、鑑定メモを見ながら答えたのだとすると、「メモに『こぼれている』と書かれていますので、尿が漏れていたのだと思います」といった回答をするはずです。検察官への回答内容は不自然だと感じました。

 

(4)鑑定人再尋問

分量の差が争点化される前に、鑑定人は1度尋問されていましたが、再度鑑定人を証人として尋問することとなりました。その際の証言の問題点については、後述の判決内容をご参照ください。

 

4 判決(東京地裁立川支部平成29年10月31日判決)

 

東京地裁立川支部刑事第3部(佐藤康行裁判官)は、鑑定メモとそれに基づく鑑定人の証言の信用性を否定し、無罪としました(控訴なく確定)。その理由の概要は以下のとおりです。

 

(1)任意採尿時の液体と鑑定資料との同一性についての判断手法

まず、採尿時の液体の保管・運搬状況等を検討し、「被告人が警察署で提出した液体と本件鑑定の資料とが同一である可能性が高いといえるが、これまで検討してきた各事情にもかかわらず、本件では、前記のとおり、両者の分量に些細でない齟齬が生じているため、この点を踏まえても同一性があることを合理的に説明できない限り、たとえば、本件封緘紙が剥がれているのに鑑定嘱託の受付がされたり、鑑定資料の取扱や鑑定の方法が通常通りでなかった可能性が生じることとなり、両者の同一性に合理的な疑いが生じることになると考えられる」と指摘しました。なお、封緘紙というのは、採尿容器の蓋の上に貼るシール様のもので、被疑者に署名指印をさせて貼り、そのままの状態で鑑定に持ち込む運用になっています。

 

(2)鑑定メモとそれに基づく鑑定人証言の信用性

以下のとおり信用性に重大な問題があるとされました。

 

ア 内容の不自然・不合理さ

鑑定人は、検察官から問い合わせをうけたときに「こぼれている」の記載を鉛筆で何度も丸で囲んでしまい、読みにくくなったので丸とともに「こぼれている」の記載を消して元のとおり書き直したと供述しました。この供述について以下の不自然さが指摘されました。

争点に関する非常に重要な証拠に、書き込みをしたり、記載を消したりすることは、あまりに軽率過ぎる行動
検察官から証言を求められたとき、備忘メモ(右ページ部分)は裁判の証拠として提出することはできないと思い、メモがなければ具体的な証言はできないから、一般的な形の証言しかできないと検察官に回答した(電話聴取書の記載)というが、備忘メモを証拠として提出できないと思ったという供述は不自然

 

イ 客観的証拠との不整合

鑑定人は、「こぼれている」との記載や丸を消した際、その上に記載されていた一文の一部も消して書き直したと供述しました。この供述と鑑定メモの記載の不整合について以下の点が指摘されました。

備忘メモをみると、「こぼれている」の上ではない部分まで消された形跡が残っているのは不自然
元々記載されていたものと思われる文字と書き直された文字とが数文字分ずれている

 

ウ 内容物が漏れていたことが証拠上具体的にうかがわれない

封緘された時点では蓋は締められており、特にゆるいようにも見えない(本人も締まっていたと述べている)
科捜研に持ち込んだ警察官は液体が漏れているのは見ていないし、科捜研職員からもそのような指摘はなかったと述べている
科捜研で保管されてから鑑定に持ち出すまでに液漏れが生じる可能性は低い

 

(3)結論

分量の齟齬について漏れによるものと認めることはできず、齟齬が生じた原因が明らかでないため、「鑑定資料の取扱や鑑定方法が通常のとおり適切に行われていなかったなどの可能性が排斥できないこととなり、両者が同一のものと認めるには足りない」。
したがって、犯罪の立証がなく、無罪とされました。

 

5 判決を受けての実感

 

今回、液体の分量の差には、依頼者にも記録を差し入れて見てもらい、検討を進める中で気付きました。記録を丹念に検討することの重要性を改めて感じました。
また、鑑定メモが鉛筆で書かれていることや、一度消した跡があることは、メモの写しを見ただけではわかりませんでした。証拠の原本に当たることの重要性も再確認できた事例でした。
捜査手続や鑑定手続が争われるケースでは、しばしば、弁護側に弾劾の材料がないケースがあります。警察官が証人として出廷し、「適正に実施しました」と証言するわけですが、それを事後的に検証する資料がないことも多く、警察官の証言の信用性を弾劾するのには苦慮します。
今回は、分量の差という無視できない矛盾があったこと、不自然な鑑定メモという弾劾の材料があったこと、などの事情があり、無罪という結果が出ました。ですが、鑑定人の証言からすると、そもそも鑑定メモを証拠として出すつもりはなかったということです。鑑定メモが出てこなければ、分量の差についてもうやむやに終わってしまったかもしれません。
鑑定は科学的であるべきです。事後的検証に耐えうるものでなければなりません。鑑定のプロセス、生じた出来事、鑑定人の所見などは、記録化され、事後的検証のためオープンにされる必要があります。今回の事件を受けて、鑑定経過の透明化の必要性も痛感しました。
今後も、捜査手続や鑑定手続に疑義が生じている場合には、関係する資料をすべて提出するよう求めていくことが重要であると感じました。

以上

弁護士 贄田 健二郎

新人弁護士活動記・準抗告パート2!

本年獲得した、勾留に対する準抗告の2件目について、ご報告です。

 

店でのトラブルで店員に暴行して怪我をさせたという傷害事件で、本人は一切暴行など働いていないと否認している事案でした。1件目と同様、本人には家族と仕事があり、前科もないという事案です。

 

裁判官(所)の判断では、勾留を決定した理由として当然のように本人には証拠隠滅や逃亡をするおそれがあると認定されており、準抗告を認める決定文の中でもそのおそれがあることは否定されていませんでした。

前提として、この判断自体、私は非常に疑問に思っています。まず、逃げるかもしれないということですが、そもそも逃げるという行動はかなり勇気のいることだと思いますので、刑務所に入るような事件ではない場合に、家族や仕事があって安定した生活をしている人がそれを捨てて逃げるということは通常考えられないと思います。

また、証拠を隠すかもしれないということについても、今回も含め多くの場合一番問題になるのは被害者などの証人となる人に働きかけて証言を変えさせるおそれがあることですが、本人の釈放後に証人が証言を変えれば本人が働きかけをしたことはすぐバレてしまう(しかも証人を脅したりすればそれ自体が罪になる)ことだと思いますので、事実を認めているか否かかわらず、何か特別な事情がない限りはそのようなおそれはないものと考えるべきではないかと思います。

しかし、裁判官(所)は一般的にそのような考えは持っておらず、割と簡単に証拠隠滅や逃亡のおそれを認めるてしまっている印象があります。

 

2件目の事案は、刑務所に入るほどではないにせよ疑われている事実はそれなりに危険な暴行態様であったこと、本人が事実を否認している(裁判所はこれを証拠隠滅を疑わせる事情と考える傾向にあります)ことから準抗告が認められるかどうか不安がある事件でした。

しかしながら、1件目と同様に家族の協力を得て陳述書などを作るとともに、上記のような私の考えを詳しく論述したところ、なんとか準抗告を認める決定を得ることができ、私が弁護士として就いた翌日には釈放してもらえることになりました。

 

弁護人がいなければ、身体拘束が争われることはなく、当然に勾留が続いたことでしょう。弁護人は、準抗告以外でも、検察官の勾留請求や、裁判所の勾留決定に際して意見を述べたり、起訴後の保釈請求などで身体解放を目指す弁護活動をしています。身体不拘束が当然であるという時代を目指して、これからも頑張ります!

 

弁護士 船戸 暖

新人弁護士活動記・準抗告パート1!

弁護士になり、今年3月頃から、単独で刑事事件の国選や当番を引き受けられるようになりました。

さっそく、6月末頃に、勾留に対する準抗告が2件連続で認容されるということがありましたので、ご報告したいと思います。

 

そもそも勾留とは、被疑者を逮捕したとしも最大72時間までしか捕まえておくことができないので、それを超えて身体を拘束しておく必要がある場合に裁判所の許可によって認められるものです。

これが認められると、まず10日間身体拘束が続けられることになり、さらに10日間まで延長ができるので、長い期間拘束されることになってしまいます。

勾留に対する準抗告とは、この裁判所の勾留決定に対する異議の申立のことをいいます。

勾留が認められる根拠は、主として、被疑者が証拠を隠す(人の証言を変えさせたり、有利な証拠を作り出すことも含みます)、又は逃げてしまうおそれがあるのを捕まえておくことで防止するということにあるので、準抗告ではこれらの事情がないことや勾留されると不利益が大きいことなどを主張していくことになります。

 

1件目は酒気帯び運転の事案でした。

当番弁護士(逮捕された時から誰でも1回は無料で呼ぶことができます)として出動したところ、既に逮捕の段階を過ぎて勾留されていたというものでした。

本人には家族や仕事があり、前科もなく、特に事実を争っているということもないので、勾留することはないのではないかという印象でした。

当日のうちにご家族の方と会うことができたので、身元引受人となることや家族・仕事の状況を記載した陳述書を作成し、本人の誓約書等も加えて翌日に準抗告を申立てたところ、認容されて無事釈放となりました。

確かに証拠隠滅として当日の飲酒量をごまかすために同乗者や店員に働きかけることなどが考えられるので、勾留の理由がないとはいえませんが、勾留がされてしまった最大の理由は、弁護士が就いていなかったために勾留をしない方向に働く本人にとって有利な事実が出ていなかったことにあると思います。

検察官も基本的には処罰をしようとする側の立場ですので、本人に有利な事情を積極的に探すことはしません。

この事案は、逮捕段階で弁護士が就いて適切な弁護活動をしていれば勾留されること自体を阻止することは十分可能であったと思いますので、やはりどんな事件でも弁護士の援助は必要であると感じたとともに、逮捕されたらまず一度は弁護士を呼んで相談をしてほしいと強く思いました。

 

2件目のご報告はまた近いうちにさせていただきます。

勾留をされることになると、逮捕と合わせて最大で23日間も身体拘束を受けることになります。23日間も捕まってしまえば、会社に勤めていればクビになってしまうことも多いと思います。逮捕・勾留それ自体は刑罰ではないので、いくら罪を犯した(かもしれない)としても、勾留をすることには慎重であるべきであり、今の裁判所の傾向には非常に疑問を持っています。

私が刑事弁護人として特に力を入れていきたいことの一つが身体拘束からの解放ですので、これからも頑張っていきたいと思います。

 
弁護士 船戸 暖

性犯罪に関する刑法の改正について

ニュースでも盛んに取り上げられていましたが、本年6月16日の参議院本会議において、性犯罪の厳罰化等を内容とする刑法の改正が成立し、今年7月中にも施行されることとされました。

刑事事件の弁護人としての活動を大きな柱の一つとしております当事務所にとっても、強い関心を持っているところです。

さて、多岐にわたる改正点のうち、本稿では「親告罪規定の廃止」について、少し述べてみたいと思います。

 

そもそも親告罪とはどういうことでしょうか。

簡単にいえば、告訴がなければ事件として扱わない、ということです。

強かん罪(改正後は「強制性交等罪」)は、これまでは被害者からの告訴がなければ、事件として扱わないルールとされていました。事件として扱うことになれば、その状況を少なくとも警察官や検察官には話をしなければならず、それを避けたいと考える気持ちを尊重する、という考えから「親告罪」とされてきました。しかし、それはいわゆる「泣き寝入り」を肯定することになるのではないか等の強い批判がなされ、今般の改正に至ったとされています。

刑事事件というものは、国が持っている刑罰権を行使することができるかどうか、という「人」と「国」との間の裁判です。その意味から「人」と「人」との間の裁判である民事事件とは本質的に異なるとされています(なお、国家賠償等の場合は「国」と「人」との裁判ではありますが、これは民事事件です。本稿のテーマから外れますのでこれ以上は述べません)。

その意味からは、被害者の意思によって刑事事件として扱うかどうかが決定されるということは、例外的な扱いでした。

それが、今回の改正によって廃止されることになったわけです。

 

さて、今回の改正は原則として遡及的に適用されるとされています。改正前の事件についてもさかのぼって適用されるということです。

その当否はさておき、どういうことなのかを紹介します。

改正法の附則2条は次のように定めています。

第二条 この法律の施行前にした行為の処罰については、なお従前の例による。

2 この法律による改正前の刑法(以下「旧法」という。)第百八十条又は第二百二十九条本文の規定により告訴がなければ公訴を提起することができないとされていた罪(旧法第二百二十四条の罪及び同条の罪を幇助する目的で犯した旧法第二百二十七条第一項の罪並びにこれらの罪の未遂罪を除く。)であってこの法律の施行前に犯したものについては、この法律の施行の際既に法律上告訴がされることがなくなっているものを除き、この法律の施行後は、告訴がなくても公訴を提起することができる。

(3項以下は略)

まず1項で、法律施行前の事件についての処罰は、厳罰化される前の法定刑を基準として処罰されることが明らかにされています。

親告罪との関係では第2項以下が問題です。

「第百八十条又は第二百二十九条本文の規定により告訴がなければ公訴を提起することができないとされていた罪」とは、強制わいせつ罪、強姦罪、準強制わいせつ・準強姦、及び未成年者略取及び誘拐等の関係です。

これらについて、施行前に犯した事件については、原則として告訴がなくとも、起訴することができるとされています。

例外は「この法律の施行の際既に法律上告訴がされることがなくなっているもの」です。

これは公訴時効(強姦罪の場合は10年)が経過している事件や、一度なされた告訴が撤回(取消)された場合を指すことになります。

つまり、告訴される前に示談が成立してその結果、告訴はしないこととされたものについては、この例外には該当しないことになります(つまり、親告罪ではないことになる)。

 

では、昔の件について、示談等で解決したと思っていたのに事件化されるのだろうかという心配が生まれるかもしれません。でも、その心配は無用ではないかと考えています。

親告罪ではなくなったとしても、検察官が被害者の意思を無視して立件するということは、現実的には考えられないでしょう。法律上はまだ告訴することができるとしても、被害者が「もういい」と言っている事件について、検察官がわざわざ事件化することはしないだろうと考えられます。このことは、今回の改正法の詳細が審議された法制審議会で、当時最高検察庁の検事であった森悦子氏が「例えば被害者がもういいですと言って告訴しませんと言って不起訴になった事案につきまして,検察官の方がそれを新たに掘り起こして,被害者の意思に関係なく起訴してしまうというようなことはまずないと思っていただいていいと思います。」と発言されています。

(参考:http://www.moj.go.jp/content/001183733.txt

もちろん示談の状況によっては、あらためて事件化されるということが絶対ないとは言い切れません。

もし、そのような場合は、早い段階でご相談いただければと存じます。

起訴猶予?執行猶予?

1 起訴猶予と執行猶予の異同

新聞やニュースなどで「起訴猶予」や「執行猶予」という言葉を耳にしたことがあるかも知れません。
まず、前者の「起訴猶予」とは、文字どおり起訴(公判請求)を猶予するというもので、これは、検察官の事件処理(そのうちの終局処分)の一種です。
他方、後者の「執行猶予」とは、言い渡された刑の執行を一定期間猶予するというもので、有罪判決の一種です〔なお、執行を猶予できる刑は、原則として、3年以下の懲役若しくは禁固刑、又は50万円以下の罰金刑ですが(刑法25条1項)、禁固刑以上の刑の執行猶予期間中に再び有罪判決を受けることになった場合にはさらに限定され、1年以下の懲役又は禁固刑に限られます(同2項)。また、刑の執行が猶予される期間は1年から5年の範囲で定められます(同1項)〕。
このように「起訴猶予」も「執行猶予」も、ある不利益な事態が避けられるという点では同じですが、避けられる不利益の内容、逆に言えば、それによって受けられる利益の内容は随分と異なります。
例えば、「起訴猶予」となった場合、刑務所に入ることがないのは勿論のこと、そもそも裁判にかけられることがないので、有罪判決を受け、前科が残るようなこともありません。
これに対して、「執行猶予」の場合、直ちに刑務所に行く必要はなくなりますが、有罪判決を受けているので、前科は残ります。また、逮捕・勾留されたまま起訴され、その後も、保釈が認められない等して、勾留が続けば、少なくとも1か月近く自由を奪われることになります。

 

2 起訴猶予や執行猶予の割合

「本人も罪を認めていて、それを裏付ける証拠もあるのに、裁判にさえかけられずに済むというようなことがあるのか」、「有罪判決を受けているのに、刑務所に入らなくて済むというようなことがあるのか」と疑問に思われる人もいるかも知れません。
しかし、起訴猶予や執行猶予は決して珍しいことではありません。
例えば、平成27年の統計を見ても(平成28年版犯罪白書)、検察庁が取り扱った事件のうち公判請求された事件の割合は、全体の10%にも満たない数字(7.8%)となっています。その一方で、起訴猶予とされた事件は、全体の過半数を超えています(56.3%)。
また、同じ年の統計を見ると(平成28年版犯罪白書)、1審裁判所で有期懲役・禁固刑を受けた者の60%近くの者が刑の執行を猶予されていることが分かります 。
したがって、犯罪の成立に大きな争いのない事件の、捜査段階(起訴される前の段階)では起訴猶予の獲得が、公判段階(起訴された後の段階)では執行猶予の獲得が、弁護活動の大きな目標となります。

 

3 起訴猶予や執行猶予の獲得に向けた活動

起訴猶予・執行猶予の獲得に向けた弁護活動をする上でまずは、「起訴猶予」・「執行猶予」の判断の際に考慮ないし重視される要素(情状)は何かを頭に入れておく必要があります。
「量刑の相場」という言葉を耳にすることもありますが、「1+1=2」のように「●と〇があれば、起訴猶予(執行猶予)になる」というような明確な公式(規定)があるわけではありません。それでも、法には参考となる規定があります。それが、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と定めている刑事訴訟法248条の規定です。
一般に、情状は、①犯罪行為の重さ(ⅰ客観的な重さ、ⅱ意思決定に対する非難の程度)と②犯罪行為以外の事情とに分けられ、前者が中心的なものであるとされています(前者を犯情、後者を一般情状などと呼ぶこともあります。)。
例えば、詐欺罪の被害金額の大きさは、犯情(上記①のⅰ)に当たるとされています。他方、被疑者・被告人には、社会の中で彼(彼女)らの生活を監督してくれるような家族がいる、働く職場もある等の事情は、一般情状(上記②)に当たるとされています
そして、犯情は、その性質上、事件前や事件当時の事実が中心となります。そのため、弁護人としては、そのような過去の事実、中でも依頼人に有利な事実を埋もれさせない活動、言い換えるなら、そこに光を当てる活動が重要となってきます。
他方、一般情状には、事件前や事件当時の事実に加え、事件後の事実も含まれることになります。そのため、ここでは、依頼人に有利な事実に光を当てる活動だけではなく、裁判に向けて依頼人に有利な事実を積極的に作り上げていく活動が重要となってきます。そして、この依頼人に有利な事実を作り上げるという活動には、弁護人の自由な発想・創意工夫、さらにはそれを実現する行動力が欠かせません。